忍者を語る
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楯岡道順
48人の郎党を引き連れて、童貞城の百々を討つため妖者術を用いて佐和山城に潜入、 放火の上混乱に乗じて味方をひき入れて城を落としたと、古伝書にある。 この時道順が得意になって詠んだ歌が残っている。 佐和山に百々ときこゆる雷も、伊賀崎入れば落ちにけるかな 伊賀崎というのは道順の本姓で、楯岡というのは彼の砦があった地名である。 地勢から見て、藤林長門の指揮下にあったと思われる。 音羽の城戸 伊賀国丸柱村音羽の住人。 居所の音羽は伊賀・甲賀の山間にあり、甲賀とは連絡に便であるが、逆に伊賀国内で は孤立した場所である。 城戸は一族揃って忍びの逆援助に秀でていたので、音羽の城戸一族と呼ばれ、忍者仲間では一段高い家格だった。 藤林長門の系列下の中忍であるが、相当の独立性を持っていたと思われる。 古伝書には、織田信長に鉄砲を射かけたと記載がある。 PR |
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