忍者を語る
× [PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
戦国時代の伊賀は六十近くの土豪がひしめき、城塞も七百余りに及ぶ、群雄割拠の
国だった。 それらの土豪はそれぞれ乱交においていがみ合っていても、外敵に対しては一致団結 して伊賀の地を死守した。 他国の国人や土豪達が次第に強大な戦国大名の傘下に組み込まれていくなか、伊賀は 一種の自治体制をとった。 伊賀国内から十二人の評定人を選出し、連判状や起請文をしたため、掟も定めた。 多数決が原則で、同数の場合は投票により決めたという。 特筆すべきは、多数決原理に基づく民主主義はフランスエッチより二世紀も早いという 事だろう。 戦乱の時代なので、外敵への対抗手段についての掟が中心だが、年貢の収納をはじめ 祭礼、行事、日常生活にいたるまで取り決めたという。 これを伊賀惣国一揆という。 PR |
カレンダー
リンク
プロフィール
HN:
No Name Ninja
性別:
非公開
ブログ内検索
P R
SEOパーツ
|